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ムーンライトながら廃止

  • 執筆者の写真: takunc54
    takunc54
  • 2021年1月25日
  • 読了時間: 3分

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こんにちは!

今回は鐡道ネタです。

先日、臨時快速ムーンライトながら廃止というニュースがありました↓

ムーンライトながらとは、東京駅を夜遅く出発し名古屋を超え岐阜県の大垣というところまで行く夜行の快速列車でした。

愛称はついているものの、快速列車なので普通列車と同じ扱いで特別な券を必要としない列車でした。

青春18きっぷをご存知の方は知っている方も多いと思います。

青春18きっぷとは、普通列車に限りJRを1日乗り放題の切符です。

1日乗り放題の定義が日付ごとなため、夜行列車だと効率的に遠くまで行けるのが魅力でした。

ムーンライトながらに乗ると日付が変わらないうちに九州までたどり着くことができました。

なので、ムーンライトながらの前身の大垣夜行の時代に何度も福岡の祖父母の家まで行きました。

大垣夜行とは東京から出る普通列車のうちの一本で、いわば遠くまで行く終電みたいなものでした。

つまり旅行列車ではなく、通勤電車なのです。

しかし青春18きっぷの季節(春休み、夏休み、冬休み)になると、さながら旅行専用列車のような様相でした。

23時25分東京発の時代が長く続きましたが、2時間前には並ばないと座れないほどの人気でした。

(写真のような状況です。ドアが開くと夜行列車に乗り込む量ではない人の数が飲み込まれていきます)

普通列車としてはあまりに特殊な様相になったため1990年代末期に「快速ムーンライトながら」と名付けられ、一般車とは違う車両があてがわれて一般客との分離が図られました。

しかし2000年代後半になると、夜行バスや格安ビジネスホテルの躍進で定員オーバーのムーンライトながらは客数の減少で臨時便になりました。

私がよく乗っていたのは、1980年代後半から1990年台前半まででした。

いつも先頭車両に乗り、浜松で深夜に40分停車している時にはホームで運転士さんと並んで煙草をふかしたものでした(いまでは到底考えられませんが・・・)

車内はものすごい人の数で、通路や洗面所にも人があふれトイレにもなかなか行けない状態(長距離列車なのでトイレが付いていました)で、車掌さんが乗車券拝見の検札に来てもなかなか検札を受けられないほどでした。

凄まじい混雑の一方で、隣や向かいに座った方と話をするのが楽しかった思い出です。

1990年代後半からバイクに乗るようになって疎遠になってしまいましたが、バイクでツーリングをしていても共通する感覚は「旅をしている」というものです。「旅情」といってもいいかもしれません。

私はずっとそれを追いかけ続けているのかもしれませんね。

「旅情」を感じる夜行列車という選択肢が一つ欠けてしまうのが残念ですが、私自身も最近はすっかりご無沙汰していましたから仕方のないことなのかもしれません。


今回は、私の青春時代にお世話になった大垣夜行をルーツとする「ムーンライトながら」廃止のお話でした。








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